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仙台市と宮城県をPRするために結成された仙台の観光PR部隊。

2009年(平成21年)に結成された名古屋おもてなし武将隊を参考にした武将隊として仙台市観光交流課によって企画され、2010年7月1日に結成、同年8月1日の初出陣で活動を開始。仙台城跡(青葉城跡)での観光案内や、殺陣・演武の披露のほか、記念撮影などで観光客のおもてなしを行なう。また、全国各地のイベントに参加するなどして仙台・宮城観光のPR活動も行なっている。

~メンバー~

伊達政宗:永禄10年8月3日(1567年9月5日)、出羽国米沢城で誕生。幼名・梵天丸。11歳で元服し、人取橋の戦い、摺上原の戦い、岩出山城への転封、文禄の役への従軍、関ヶ原の合戦を経て、慶長6年(1601)に仙台城の築城と城下町・仙台の建設を開始。仙台藩62万石の礎を築いた。

伊達成実:仙台藩一門第二席・亘理伊達家初代当主。伊達政宗公の1歳年下の従兄弟であり、兄弟のように育った。戦場では幾度となく政宗公の窮地を救い、伊達家随一の猛将として恐れられた。一歩も後ろに退かぬという心意気から、陣羽織の背中には香車を、兜の前立にはムカデを掲げている。

片倉小十郎景綱:白石城初代城主。政宗公が幼き時は傅役を、長じてよりは軍師を務め、生涯に渡り政宗公を支えた名参謀。政宗公の命運を左右する合戦には必ず景綱の姿あり、と言わしめた。「潮風」という笛を愛用し、合戦の合間に吹いていたと伝わる。

茂庭綱元:伊達家譜代の家臣。伊達家存亡のかかった人取橋の合戦で老将ながら奮闘して討死した父「鬼庭左月斎」と同様、伊達家の政治の中枢を担った。泰平の世になってからは、仙台城留守居役として城下町の整備などに尽力。豊臣秀吉より「茂庭」の姓を拝領し、鬼庭から「茂庭」に改姓した。

支倉六右衛門常長:政宗公の命を受け渡欧した「慶長遣欧使節」の日本人のリーダー。慶長18年(1613)、サンファンバウティスタ号で、石巻の牡鹿半島月の浦を出帆。日本人として初めて太平洋・大西洋を越え、メキシコ、スペイン、ローマを訪れた。通称・六右衛門。

松尾芭蕉:みちのくの名所を旅し、数々の名句と「おくのほそ道」を残した俳聖。元禄2年(1689)、青葉の季節に仙台を訪れ、政宗公の築いた奥州・桃山文化を目の当たりにした。杜の都の旬と魅力を伝えるみちびき手。

足軽・陽(ひざし):明るく朗らかな青年。絵が得意で、政宗公にその腕を見込まれ、何かと用を任されることが多い足軽組の一人。ただ、その器用さ・身軽さから、伊達の隠密集団・黒脛巾組とのうわさも…。

くの一・畑(はた):伊達の隠密集団・黒脛巾組のくの一。仙台城下での“忍務”は街中の「おいしいもの」を探すことや「着物で女子会」を主催すること。それらの“忍務”のため、普段はめったに姿を現さない。

グレート家康公「葵」武将隊(グレートいえやすこう「あおい」ぶしょうたい)は、愛知県岡崎市の魅力を広く発信しようと結成された岡崎の観光PR部隊。

三河武士発祥の地とされる岡崎の岡崎公園内で2011年4月30日に結成された武将隊。

〜メンバー〜
徳川家康 (2014年6月1日、小澤寛が退任。後任は兵庫県出身で知多在住の劇団員)

酒井忠次

本多忠勝

榊原康政

井伊直政

服部正成 (2014年3月30日、新メンバーに交代)

平岩親吉

渡辺守綱

稲姫 (2014年3月30日、新メンバーに交代)

水野勝成

メンバーは岡崎城で生まれた徳川家康、徳川四天王と呼ばれる酒井忠次、本多忠勝、榊原康政、井伊直政のほか、伊賀同心の支配役・服部半蔵正成、徳川十六神将の一人・渡辺守綱、徳川家の重臣である平岩親吉、本多忠勝の娘である稲姫。平日は9人の中から交代で岡崎公園内を練り歩き、記念撮影や案内などでおもてなしを行なうほか、土日・祝日は11時と2時から演武や寸劇、悩み相談コーナーなどを行なっている。
名古屋おもてなし武将隊(なごやおもてなしぶしょうたい)は、「武将都市ナゴヤ」をPRするために結成された名古屋の観光PR部隊。
(徳川家康(初代)、加藤清正(初代)、織田信長(2代目)、豊臣秀吉(二代目)、前田慶次(2代目)、前田利家(初代)、陣笠隊)
メンバー
〜武将隊〜
織田信長(3代目)(岩崎健人)(2016年5月 - )

天が呼ぶ、地が呼ぶ、人が呼ぶ、名古屋が生んだ大うつけ、 天下布武を掲げた日本の大英雄 第六天魔王

織田(上総介)信長 推参!

本名 : 織田上総介信長

生年月日 : 天文3年(1534年)5月12日

出身地 : 尾張国海東郡勝幡城

幼名 : 吉法師


豊臣秀吉(3代目)(齋藤優樹)(2015年4月 - )

太閤検地に刀狩、高松の水攻めに一夜城。

天下は頭でとるもんじゃ 戦国一の出世頭

豊臣秀吉

本名 : 豊臣秀吉

生年月日 : 天文6年(1537年)2月6日

出身地 : 尾張国愛知郡中村

幼名 : 日吉丸


徳川家康(初代)(倉橋岳)(2009年11月 - )

三河武士のもののふ魂 ここに見せてくれようぞ。

真の戦国覇者にして、江戸幕府 初代将軍

徳川(次郎三郎)家康

本名 : 徳川次郎三郎源朝臣家康

生年月日 : 天文11年(1542年)12月26日

出身地 : 三河岡崎城

幼名 : 竹千代


前田利家(2代目)(水鳥皓太)(2015年4月- 2018年3月(予定))

時の天下人に仕え 加賀100万石の祖にして、日本無双の槍使い 槍の又左こと

前田(又左衛門)利家

本名 : 前田又左衞門利家

生年月日 : 天文6年(1537年)

出身地 : 尾張国海東郡荒子城

幼名 : 犬千代


加藤清正(2代目)(東達也)(2016年5月 - )

天下の流れは変わるとも我が生き様は変わること無し 忠義の思いもそしてこの城へ込めた想いも 全ては我が誇りなり。

加藤(肥後守)清正

本名 : 加藤肥後守清正

生年月日 : 永禄5年(1562年)年6月24日

出身地 : 尾張国愛知郡中村

幼名 : 虎之助


前田慶次(3代目)(傍島将大)(2015年4月 - )

前田家を出奔し諸国を放浪。

武を磨き、美を極めた自由人。戦国一のカブキ者

前田慶次と申す。

本名 : 前田利益

生年月日 : 1533年~1555年??

出身地 : 尾張国海東郡荒子城

幼名 : ???


〜陣笠隊〜
踊舞(長谷川将也)(2012年5月 - )

幼き頃から体が大きく力も強かった。

そのため大道芸一家に生まれるも荷物持ちが多く、 戦に出る際も小荷駄隊として尽力する。

小心者だがやるときには全力でやりますぞ。

踊舞

本名 : 踊舞(とうま)

生年月日 : 1560年9月28日

出身地 : 尾張小牧

普段の生業 : 大道芸人


なつ(秀島なつみ)(2014年4月 - )

料理を褒めてもらった恩を返すため、秀吉の軍についていこうと肥前を飛び出しました。

いつか秀吉に最高の料理を食べてもらおうと戦の合間に食材を探しております。

腹が減っては戦は出来ぬ。

武将隊の胃袋を支える足軽になります。

なつ

本名 : なつ

生年月日:元亀3年(1572)7月2日生まれ

出身地:肥前

普段の生業:足軽


一之助(黒川一将)(2015年4月 - 2018年3月(予定))

見た目は華奢だが、熱き心の持ち主。

どんなことにも全力あるのみの祭り好き足軽。戦も祭りじゃ。

一之助

本名 : 一之助(かずのすけ)

生年月日 : 永禄6年(1563年)7月20日生まれ

出身地 : 尾張国海東郡蟹江本町村

普段の生業 : 農民


哉太郎(2017年5月 - )

家族に尽くす。その性格は実直。

身体は小さく気弱だからこそ周りをよく観察し、その気配りから隊の皆に親しまれる。

哉太郎

本名 : 哉太郎(やたろう)

生年月日 : 弘治元年(1555年)9月21日生まれ

出身地 : 伊勢国度会郡宇治郷

普段の生業 : 農民


名古屋おもてなし武将隊の成功により、全国各地で同部隊を参考にしたPR部隊が展開されることになった。
長崎県島原市にある島原城を拠点として活動している武将隊。構成は島原の乱などに関係する武将。観光案内やPR、島原城ホームページやTwitter、Facebookなどで情報発信をしている。

(左から高力忠房、天草四郎時貞、松平忠雄、有馬晴信、松倉重政)

・高力忠房
   江戸時代初期の大名。肥前島原藩初代藩        主。島原の乱で荒廃した島原を立て直す。

・天草四郎時貞 
  島原の乱の首領。小西行長の遺臣の子とい     う。豊臣秀吉の孫という説もある。キリシ     タン信徒の一揆に推されてその首領とな         り、幕軍に敗れ翌年討死。

・松平忠雄
   肥前島原藩第2代藩主。島原検地の基礎を築   き上げ、武芸を奨励した。

・有馬晴信
   安土桃山時代のキリシタン大名。肥前日野      江城城主。天正遣欧少年使節を派遣。マー      ドレ・デ・デウス号を焼打ちにしたが、の      ち流罪、切腹。

・松倉重政
   有馬晴信の後に肥前日野江藩主となる。苛      政と搾取、キリシタンの厳しい弾圧を行        い、島原の乱の主因を作った。

      
2016年4月14日21時26分、熊本県熊本地方の深さ約10kmでマグニチュード(M)6.5の地震が発生、また、16日01時25分には同地方の深さ約10kmでM7.3の地震が発生した。この地震により、熊本城も全体の3割以上の被害を受けた。
大天守と小天守(2018/01/02)
西南戦争薩摩郡総攻撃の三日前、原因不明の火災により天守や本丸御殿など主要な建物を消失、現在の天守閣は1960年に、鉄骨鉄筋コンクリート造で外観復元されたもの。地震では上層階はほとんどの瓦や鯱が落ち、入口付近の石垣が崩落した。
戌亥櫓(いぬいやぐら)
西出丸の戌亥(北西)の方向に位置する木造二重三階の隅櫓、平成15年8月に復元された。地震により、石垣が崩落した。
宇土櫓(うとやぐら)
国指定重要文化財
本丸の北西の隅、20mの高石垣の上に建つ3層5階地下1階、地上約19mの櫓で、天守並みの構造と大きさを誇る。五階櫓自体は西南戦争、1889年の熊本地震、先の大戦、そして今回の熊本地震でも大きな被害を逃れた。

九州熊本をPRするために誕生した武将隊。九州に縁のある武将で構成され、以前は、熊本城が拠点でしたが、熊本地震後は熊本城城下にある桜の馬場城彩苑を活動の場としています。イベントや学校の依頼などで他都道府県や国外に行くこともあります。

(左から南条、あま姫、大村、黒田、島津、小西、加藤、細川、松井、飯田 1月2日に熊本城二の丸広場で行われた新春演舞の様子)
〜加藤家〜
・加藤清正 (熊本城初代城主)
・あま姫 (加藤清正の長女、本名は本浄院)
・飯田覚兵衛直景(加藤家筆頭家老)
〜小西家〜
・小西行長(肥後国宇土城城主)
・南条左衛門尉元清(小西行長の家臣、行長が斬首された後、清正の家臣になる)
〜細川家〜
・細川忠興 (豊前小倉城城主)
・松井興長(細川家筆頭家老)

・島津義弘(薩摩島津家第17代当主)
・大村喜前(肥前大村藩藩主)
・黒田官兵衛孝高(豊前中津城城主)